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桂浜水族館93周年!!!

2024年4月1日
桂浜水族館が93周年を迎えました!

桂浜水族館が開館したのは1931年(昭和6年)。

1931年は羽田空港の前身である東京飛行場が開港した年や現在の大阪城天守閣が再建された年でもあります。歴史の教科書でも出てくる「満州事変」が勃発したのもこの年ですね。

64年続く昭和に入ってまだ6年のこの頃、桂浜水族館のある浦戸地区に永國亀齢(ながくに きれい)という人物がいました。
「ヒゲさん」という愛称で親しまれていた亀齢氏は底引き網漁の網元(魚網や漁船を所有する漁業経営者のこと)で、浦戸地区にて生簀(いけす)を構え小さな釣り堀を営んでいました。
以前大阪を訪れた際に堺水族館を見学した亀齢氏は感銘を受け、同時期桂浜にもあった釣り堀の権利を
買い取りました。「土佐湾で獲れる魚を生きた状態で多くの人に見てもらいたい」その想いを胸に地元の友人にも働きかけ桂浜に釣り堀と池のようなプールを開設しました。
これが桂浜水族館の始まりとされています。
ただしこのときの水族館は水槽や釣り堀などの周りにだけの柱を立て、テントを張るといったとても簡易的な建物でした。

初代館長の永國亀齢氏。写真は水族館本館2階のほねほねるーむに掲示されています。


1937年(昭和12年)、高知市で第1回南国土佐大博覧会が開催されることになりました。
博覧会の第2会場には桂浜と対岸にある種崎という地域が候補に上がりましたが最終的に選ばれたのは種崎の方でそこにも水族館の建設が行われました。
亀齢氏はその水族館にも負けない水族館をと、五台山という浦戸湾に面した山の中で枠組みを作って隠し、開幕日が迫ったある日の夜に2隻の船で組み立てたものを桂浜まで運んで一夜にして水族館本館の骨組みを作り上げました。
博覧会の間は近い場所に2つの水族館があるという状態でしたが、巡航船でやってくる観光客に「水族館はこちらです!」と拡声器で呼びかけ客足を桂浜水族館の方へ引いていたとのことです。

その翌年、水族館建設や経営などに奔走した初代館長・亀齢氏は疲労がたたってか肺炎を患い53歳の若さで死去。
しかし亀齢氏の想いは息子さんにも引き継がれていきます。
戦時中は閉館を余儀なくされていましたが終戦から数年後に再開、その2年後に開催された南国高知産業大博覧会では桂浜が第2会場に指定されてそれを機に25メートルのプールを増設。長期飼育は叶いませんでしたが開催中は10日ほどゴンドウクジラの仲間が展示されていました(のちに死亡したクジラはホルマリン漬けにされ展示されていたとのことです)。

1954年(昭和29年)1月28日にはカリフォルニアアシカの飼育展示を開始、同年4月16日にはペンギン類の飼育も開始されました。
当時は南極の方まで漁に行った捕鯨船や遠洋マグロ延縄漁船がそこに住むペンギンを連れて帰って水族館に寄付するといったこともあり、最初桂浜水族館に搬入されたのはアデリーペンギンという種類でした。
その後も黒鳥やハイイロペリカンといった水鳥にフンボルトペンギンやキングペンギンといったペンギン類、アザラシなども仲間に加わりプールではハンドウイルカの飼育も始まりました。

1974年(昭和49年)、当時の最長記録は47日だったマンボウの飼育記録を更新。当時の世界記録である125日を樹立しました。
その4年後に世界記録を自力更新し166日を樹立。
現在では2900日を超える飼育記録を他の水族館が保持していますが、桂浜水族館もマンボウ飼育において貴重な歴史の1ページを築き上げていました。

1984年(昭和59年)、黒潮博覧会を機にこれまでの場所から少し西の現在の場所に新館を建設。

こちらに移ってからは今トドが飼育されているプールでハンドウイルカやオキゴンドウが飼育されていましたし、新たにカワウソ類(ユーラシアカワウソ、コツメカワウソ)やリクガメ、カピバラの展示も始まりました。
最近では爬虫類や古代魚などを展示する「アキラの部屋」もできましたね。


水族館旧館のあった場所。



93年の歴史を持つ古い水族館ではありますが、桂浜水族館はこれからも新しい考えを取り込みながら独自の進化を続けていきます。

訪れた方が思い出を作りまた来たいと思ってくださる水族館であるよう、いきものとの出会いを通して多くの学びを提供できる施設であるよう、そしてみなさまが思い出を語り継いでくださるほど愛される地元の水族館であるよう今後もこの地で活動を続けていきます。

これからも桂浜水族館をよろしくお願いします😊

旧館写真やエッセイも引き続き募集しております!


追記:ここ数ヶ月で調べた歴史をざっと書かせていただきました。けどまだまだ詳しくないところも多々あります。
しかし歴史ある水族館に学芸員として入社させていただき今もこういった資料整理などをさせてもらっているためこの歴史を次の世代にも受け継いでいけるよう私も知識を身につけ歴史をさらに深く学んでいきたいと思います!

飼育主任学芸員
フジ