「その手に命を預かるということ」
〈動物愛護週間2日目〉
◆命を手にする覚悟と責任
我が家では私が産まれる前からネコたちと一緒に暮らしていましたし、幼い頃は網を持って近くの山や川を走り回り、捕まえた虫や川魚、カメなどを飼育していました。お店から迎え入れたものですが金魚やメダカなども飼育してましたね。
水族館や動物園には連れて行ってもらっていましたが身近な場所にあったわけではありません。しかし子どもの頃から大自然の中で命あるものに触れ、見て調べて飼育して多くのことを学ばせてもらい、それらの経験が今飼育員として働く生きもの好きな私の源流にもなっています。
昨今、おうちで動物と暮らしている人の数は少なくありません。
イヌやネコと暮らしている人もいれば、インコやカメ、熱帯魚たちと暮らしている人もいます。ウサギやフェレット、猛禽類、ヘビやトカゲといったエキゾチックアニマルと呼ばれる動物たちと同じ時を過ごしている人もいますね。
動物を飼育する目的は人それぞれですが、私たち人間が動物たちと暮らすことにはいくつかの利点があります。
たとえば、イヌと一緒に暮らすと散歩で歩く機会も増え運動不足の解消になりますし、可愛い動物は見ているだけで心が癒されます。ただでさえストレスの多いこの社会、うちに帰って動物たちと戯れ心を救われている人は多いはずです。
また身近なところで動物たちの不思議な行動を見ることができますし、小さい頃から命ある動物たちと過ごすことで命を大切にする心や思いやり、責任感を育むこともできます。
とはいえ、無条件でこれらの恩恵を受けられるわけではありません。
動物を飼育することはその手に命を預かるということ。
もちろんですがごはん代をはじめ家や水槽、おもちゃやリード、ケージなどなど飼育にかかる費用は決して安くはありませんし、ケガや病気があれば病院にも通わなければなりません。動物によってはワクチン接種が義務付けられているものもいます。
また動物たちを連れていくのに負荷の大きい旅先へは行けませんし動物だけを残して数日間家を空けることも基本的にはできません。
暖房設備や冷房設備が常に必要となる動物もいますし、借家や周りと密接した立地の家であれば鳴き声やにおいなども気にかけなければなりません。
飼育を始めるタイミングと周囲の理解についても深く考えなければなりません。
家族と暮らしているのであれば自分だけが飼いたいからといって飼育を始めても自身が不在となるときはそのお世話を誰かに任せなければなりませんし、自身がある程度年をとってから飼育を始めたとしてももしかするとその動物の方が長生きをすることもあり得ます。
今のことだけでなく先のことや万一のことは飼育を始める前も始めてからも常に考えておかなければなりませんね。
本来であればこれら条件をすべて承知の上で周囲の理解も得て、これから飼育を始める動物が命尽きるその時まで大切に適切にお世話できるという人のみが動物飼育を始めるべきなんだと私は思います。
命を預かるということはそれだけの覚悟が必要ですし、敷居は高くあるべきだと思います。
しかし動物を飼育しているすべての人がそこまでの覚悟を持って飼育を始めているのかといえば残念ながらそうではありません。
私が生まれるよりも昔から飼育放棄や虐待は問題としてあっただろうし、今でもそれらの言葉を耳にすることはあります。
動物を迎える目的は本当に様々です。
「小さい頃の見た目が可愛かったから」
「手頃なサイズで飼育しやすそうだったから」
「話題だったから」
「有名な人や好きな人が飼育しているから」
「寂しさを埋めたかったから」
こういった目的で飼育を始めた人も中にはいることでしょう。
適切に最後までお世話をしてあげるのであれば入り口はどのような形でも良いと思います。
ただ飼育を始めるにあたって対象となる動物のことを調べもせず、「大きくなって可愛さがなくなった」「思っていた以上に大きくなった」「お世話するのが疲れた」と言って適切な管理を怠ったり邪険に扱ったり、捨てたりするというのはあまりにも無責任で自分勝手だと言えますね。
どんな動物であれ、迎え入れたいと思ったら飼育するために必要なスペースや設備、食べるもの、寿命についてしっかりと調べるべきですし、自分に命を預かれるほどの経済的余裕や心の余裕があるのかを今一度よく考えた上で迎え入れてあげるべきだと思います。
動物と関わりを持とうとする全ての人が責任と覚悟を持ち、その個体が寿命を迎える最期の時まで適切に飼養する終生飼育を徹底するようになればきっと無責任な飼育者も可哀想な動物も減らしていけるのではないだろうか、私はそう信じたいですね。
飼育学芸員
フジ