天国への旅立ち[フンボルトペンギン(サヌキ)]
2024年9月6日の朝。
桂浜水族館でもっとも長生きと思われる個体がその生涯を終え空へと旅立ちました。
フンボルトペンギンの『サヌキ』。
2003年11月に香川の水族館から桂浜水族館へやって来ました。それ以前の記録は断片的で生まれた時の記録は残っていないため正確な生年月日は不明です。
そのためどれくらいの年数生きたのかについてはわかりませんが他の高齢ペンギンよりも歳をとっているなと感じさせる姿をしており、もし記録が残っていたとすれば国内最高齢の1羽に数えられたかもしれないご長寿なおばあちゃんペンギンでした。
桂浜水族館に来て約21年。
今いる多くのスタッフが知らない歴史の中で生き、ベテランスタッフらと共にたくさんのペンギンたちが誕生していく姿や他所へ旅立っていく姿を見守り、自身よりも早く天に昇っていくペンギンたちの背中も見てきました。
私がサヌキと過ごした時間は5年ほどしかありませんが、印象に残っていることはたくさんあります。
亡くなるときは独り身でしたが私が入社した頃は「鳳凰」というオスのペンギンとペアを組んでいました。
サヌキの年齢は不明ですが人間に換算するとおそらく100歳越え、一方の鳳凰は60歳半ばくらいだったと思います。
その年齢差を教えてもらったとき、ペンギンってそんなに深い愛を持っているんだと感動しました。
私が担当になった翌々年の12月に鳳凰は天国へと旅立ちましたが、その年の5月にはサヌキが卵を産んでおり、そんな高齢になっても卵を産める繁殖力や体力があることに驚かされました。
最高齢ゆえに老いを感じることもあり、体の中に隠れた足が筋肉の衰えによるものなのか左右に開いていて歩くのがゆっくりだったり、白内障を患っていてくちばしに当たるとこまでごはんを持っていかないと気づかなかったりする場面もありましたが、ごはんの時間になると普段の居場所からよちよち歩いて私の足元に来てくれることもありましたし、プールで元気よく泳いでいる姿を目にすることもありました。
食欲もずっとあり続け、多い日には1日でアジを15尾以上食べまだ欲しがってくる日もよくありました。
食欲が低下し始めたのは亡くなる10日ほど前からで、このときは換羽の真っ只中でした。
換羽は体力を消耗するため老体にはかなりの負荷がかかるものの毎年3週間ほどかけて綺麗な羽に生え変わっていました。
今年は1番最後に換羽が始まりましたが当初は順調に進んでいるようにも感じました。
お腹や背中の羽は早い段階で変わりましたが頭部はなかなか進まず、次第に歩く頻度も減って伏せた状態で過ごす時間が増えてきました。
脚は歩くことが少なくなったせいか一気に筋肉が衰え、その場で足踏みするのがやっとの状態。数日前に上がれた段差が上がれなくなり、前に進むときはフリッパーを支えにようやく数歩進めるくらいでした。
仮にここでサヌキを隔離したとしてもいきなり違う環境に身を置かせるとかえって負荷をかける可能性もあったことから舎内で様子を見、段差は可能な限り無くしてごはんも食べれるものを確実に与え、移動も負荷がかかりすぎないよう居場所が安定するまで補助しつつ見守るようにしていました。
「さすがに今回はしんどそうか」と感じたことはこれまで何度かありましたが、それでもサヌキは逞しく進み続けてきました。だから今回もきっと乗り越える、そう信じたい気持ちもありました。
しかしサヌキにとっては換羽で体力を消耗し自身の体が自身のものでなくなるような感覚があったのかもしれません。
それでも亡くなる前日まで目には力強さがありこれまでと変わらず輝き続けていました。
命の火が消えるその瞬間まで力強く未来を見据えたサヌキ。
生前、病気を思わせるような動きは一切なく、外傷や飼育下のペンギンにできやすい足裏の病気も確認されず。
食欲が低下していたため痩せは進行していましたが、これまで病気で亡くなったペンギンに見られたげっそりとした痩せではなく緩やかなものでした。
考えられる死因は老衰で、本当に健康な体で天寿を全うしたのだなと感じました。
遠くからサヌキに会うため来てくださった方や電話でサヌキの健康を気遣ってくださった方も多く、たくさんの方に愛されたみんなのおばあちゃんとも言えるとても大きな存在でした。
今を生きる私たちはサヌキが最後まで見据えていた未来を仲間たちと紡ぎつつ毎日を懸命に生きていきます。
そして動物たちの飼育に携わる私たちは今共に過ごす仲間たちがサヌキのように病気をすることなく天寿を全うできるようできる限りの努力を怠らず生命と向き合っていきます。
これまでサヌキを愛し応援してくださった皆さま、サヌキの存在からペンギンに興味を持ってくださった皆さまに心からお礼申し上げます。
飼育学芸員
ペンギン飼育担当
フジ